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ことばの意味を計算するしくみ 〜 計算言語学と自然言語処理の基礎 〜 FL #76 レポート
公開
2025-04-13
更新
2025-04-13
文章量
約2566字
はじめに
Forkwell Library シリーズ第76弾は、言語の意味を「どうやってコンピュータで扱うのか」というテーマに取り組んだ一冊、『ことばの意味を計算するしくみ 計算言語学と自然言語処理の基礎』を取り上げました。著者の谷中 瞳 氏(東京大学大学院情報理工学系研究科 准教授)をお迎えし、近年の大規模言語モデル(LLM)でも解決が難しい「言葉の意味」を、計算言語学の視点から解説していただきました。
自然言語処理(特に深層学習ベースの大規模言語モデル)は、圧倒的な量のデータから単語同士の共起や統計的な特性を学習するアプローチです。一方、計算言語学は論理式などを使って文の意味をより厳密に捉える理論的アプローチを提供します。両者は互いに補完し合う可能性があり、それがいわゆるニューロシンボリックAIの研究にもつながっているのです。
本イベントでは、谷中氏が執筆された書籍の中核部分を30分ほどで紹介いただき、続くQ&Aセクションでは技術的にも理論的にも踏み込んだ問いが飛び交い、大いに盛り上がりました。
発表パート:言葉の意味を計算するとは
自然言語処理の視点
まず自然言語処理の観点では、大量のテキストデータから「単語がどんな文脈で使われるか」という共起情報を学び、単語をベクトルで表す分散表現(Word Embedding)が礎となります。 さらにトランスフォーマー構造に基づく大規模言語モデル(LLM)が、文脈の中でどの単語が出現しやすいかを確率的に予測し、驚くほど多彩な文章生成を可能にしてきました。チャットGPTのような高度な対話モデルやGPT-4などは、膨大なパラメータ数と計算資源によって飛躍的な性能を示しています。
しかし、自然言語処理が得意とするのは「多くの事例から頻度や共起関係を学ぶ」部分です。否定や論理・文法的機能語のように単純な共起だけでは扱いにくい意味要素が、依然として大きな課題に残されています。また、深層学習モデルは出力過程がブラックボックスになりやすく、誤りやバイアスの説明が難しいという問題もあります。
計算言語学の視点
一方、計算言語学(特に形式意味論)では、文の意味を論理式で表現し、そこに論理推論を組み合わせるアプローチが研究されています。文中の述語や修飾語を論理的な構造と見なし、「どのように単語と単語を合成して文の意味を得るか」を厳密に扱います。
イベントで紹介された「組み合わせ範疇文法(CCG)」は文の構造を少数の規則に集約し、単語一つひとつの意味をラムダ計算などで表すことで、文全体の論理式を得る仕組みを提供します。さらに、得られた論理式同士の包含関係(ある文が真なら、別の文も真かどうか)を証明する「水準」計算を自動で行えるシステムも登場しており、自然言語処理が苦手としてきた論理・形式的な精度を補完しうると期待されています。
これらの取り組みはニューロシンボリックAIとして注目を浴びており、統計的アプローチと記号論理の統合が今後の重要テーマの一つになっています。
Q&Aセクションハイライト
質疑応答では、日本語の特殊性や形式的アプローチと深層学習の兼ね合いなど、学際的な話題が多数寄せられました。いくつか印象的なものを紹介します。
Q1: 日本語の言葉には地域や背景により意味が違う場合もある。LLMはどう扱うのか?
ある土地では「お茶をもう一杯どうですか」が「そろそろお引き取りください」を意味するケースも指摘されました。これに対し谷中氏は、文脈的・社会的背景の推定を行うためには、より大規模かつ多様なデータを取り入れ、さらに文化情報まで埋め込む必要があるだろうとの見解を示しました。 一方、ブラックボックスな大規模言語モデルに地域固有の用法が学習されると、意図しない誤解も招きかねません。こうしたところでも記号的・論理的なアプローチを組み合わせる意義が見いだされます。
Q2: 言語モデルが論理的推論を本当に理解しているとは言えるのか?
統計モデルが未知の組み合わせ(例: 否定 + 具体的フレーズ)などに一定の精度で対応できても、100%正しく処理できるわけではなく、しばしば不安定です。人間のような安定性を与えるには、論理式による「証明過程」を明示的に組み込むことが一つの手段になるかもしれない、と谷中氏は述べました。
Q3: 組み合わせ範疇文法(CCG)のような複雑な文法理論は、本当に人間が知っているか?
確かに形式化すると複雑に見えますが、CCGは公文解析に必要な「規則」を数えると意外と少ないです。人間の頭の中で整然と意識化されているわけではないものの、潜在的に持つ規則を理論的に整理したものがCCGだ、と考えると理解しやすいだろうとの回答がありました。
全体を踏まえた感想
今回のイベントは、深層学習を軸に爆発的に発展している自然言語処理技術と、記号論理や形式意味論を土台とする計算言語学の出会いが、いかに豊かな可能性をもたらすかを再認識させる内容でした。チャットGPTなどの大規模言語モデルは確かに驚異的な文章生成を見せるものの、否定や論理的推論などの領域では穴が残るとも言えます。一方、形式言語学側は論理式によって精密に意味を記述でき、推論過程が観察可能であるなど強みも明快です。
「言葉の意味をどう計算するか」は、データの多寡やパラメータ数の拡大だけでは解決できない問題をまだ多く抱えています。学習済みモデルを微調整(ファインチューニング)するだけではなく、背後の文法体系や論理構造を活かすことで、より厳密かつ解釈可能な自然言語処理が見えてくるのではないか。本書と今回の講演は、その研究最前線に一歩近づくための最良の導入となっていました。特に、人間が持つ「限られたサンプルから文法を理解する」仕組み(構成性・体型性)を工学的にどう取り込むか、今後の大きなテーマと感じられます。
イベントを通じて、計算言語学と自然言語処理が交錯する学術的かつ実務的な知見を一度に浴びることができました。すでに自然言語処理を使いこなすエンジニアや、これから言語モデルに取り組む人にも、本書が新鮮な発見を与えてくれそうです。
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